矢掛本陣

骨折で入院中だった母もどうにか退院のみとうしとなり、

陽気もすこぶるよろしいので、

笠岡への道筋を矢掛街道にとりました。

矢掛本陣は大名と護衛のみ、

幕府高級官僚がお泊りになられたそうで、

脇本陣は家老クラス。

その他は街道筋のエコノミースクラスに分宿しました。

大名の格式で宿札の大きさが決められてたとのこと。

参勤交代の数か月前に各藩のマネージャーがあらかじめ打ち合わせにこの札を持参して置いてゆくのだとか。

 

札の読みは下記です。

仮に萩藩の予約がされていても、

後に幕府官僚が予約しバッティングした場合は

外様大名は遠慮する立場だったようです。

長靴持たず

負ぶわれた政務次官の感覚はまともだったようです。

篤姫様は大阪までは海路で江戸入りしたと

思われてのが

最近発見された資料では、

山陽道を通り

どうやらこちらにお泊りになられたとも。

石井家は本陣を構えるとともに大地主・庄屋・造り酒屋として

も地方の有力者。

国の重要文化財指定されてるそうですが、

今の代になる石井氏個人の力での維持は大変なご苦労にみえます。

本陣がほぼ完全な形で維持されてるのは全国でも数少ないとのこと。

一度お訪ねあれ、

いいところですよ。

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