父が氷川丸に乗っていた頃
海軍だつた生前の父が戦争の事を話す事はありませんでしたが、
公務員だったにも拘らず赤旗配達のボランティアを継続していたところに
父の戦後を想う事が出来ます。
私の生まれたのは昭和20年3月、
父が氷川丸に乗っていた頃なんでしょう。
長編アニメーション映画「氷川丸ものがたり」
虫プロで製作中だとか・・・。
戦後は引き上げ船として無数の岸壁の母に迎えられたことでしょう。
その前は衛生下士官として戦艦長門に・・・・
いずれも不沈で戦後を迎えたのは何かの因縁でしょうか?
今私は太郎氏の声明に耳を傾けています。
その活動に希望を託しています。
戦後70年を迎えて(談話)
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