父の生涯って・・・・・深い ③
百田尚樹著 永遠のゼロ
空襲と空戦が終わると、三機は阿吽の呼吸で敵飛行場の上空で編隊を組み、そこで宙返りを演じてみせたのです。それも三度続けて。それはみごとな宙返りでした。三機がまるで一つの飛行機のように一糸乱れぬ動きでした。何も知らされていない私たちはあっけにとられて見ていました。三機は更に大胆に高度を下げるともう一度宙返りを行いました。三人の名人が行うと、これほどまでに美しい編隊宙返りが出来るのかと想いました。
驚くのは、この間、敵飛行場からは一発の対空砲火もなったことです。
”日本軍であれば指揮官は「撃て、撃ち落とせ」と絶叫したはずです。
ここに彼ら敵国のユーモアと度量の大きさを感じます”
対戦当初、戦闘能力の傑出したゼロ戦にのる優秀なパイロット達はゼロファイターと呼ばれ敵に恐れられていたそうです。
しかしながらやがて、人間より兵器が大事という思想は、次第にベテランパイロットを失うこととなり、また新人パイロットを育成できない事態を産むことになりました。ゼロ戦は防御機能を犠牲にして戦闘能力を強化していることが敵に解明されるや、ゼロ戦も過去のもの、ただの標的となってゆきます。
東京は106回の空襲を受けたそうですが、1945年3月10日の大空襲が最大規模であったそうです。
物資、燃料不足の為、戦艦長門はこの時横浜港に繋留されたままだったとか。
父が海軍だった為か?当時母が一緒だったかどうかも不明ですが、3月17日に私の出生届けは横須賀で出されました。
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