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2013年5月21日 (火)

小一の今は 俺 に

一人称の使い方にも孫の成長が良く表れています。  

当初は自分の事を牙琥ちゃん・・・・・・・小一の今は に・・・・・。

やがてわいになる?関西人ですから、そして僕・私を上手く使い分けるようになるんでしょう。

アチャコはわていうとらはりました。

そうそう身近に一人称を幼稚園生的にお使いになる方が居ます。

可愛い?・・・・・・まあそのような・・・・。

一人称の使い様?で喧嘩にも発展します。

私,高校生の頃親の影響もあり「」を使うのが、同級生に反感をかっていたようです。

わしとか、言え言うとんジャ」と

駅のホームで取っ組み合い、刺客は1学年下の二年生でした。

余談ながらその刺客、今は県議会で古株です。

日本では対世間で物言いを使い分けなければ、上手く世渡り出来ません。

一人称だけ観てもまだ沢山ありますから、私小説的文学表現にピッタシです。

そこに霞が関文学も成り立っている?

一人称ひとつの英語圏等では表現は単純明快なんでしょうね。

だから公約は絶対?

国民にはどちらが幸せなんだろう。

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