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2013年12月21日 (土)

「雨あがる」

黒沢作品では「椿産十郎」「赤ひげ」「どら平太」「どですかでん」等周五郎原作を

多く取上げています。

最近山本周五郎短編「雨あがる」よみました。

これも黒沢明監督の脚本(遺稿)でオマージュ映画化されてます。

周五郎原作と脚本は殿様は登場しないのですが

エッセンスを一層深く伝えてくれているようです。

 

周五郎原作では「雨あがる」の「日々平安」では、何の取り柄もない、切腹の真似までして

一食なり恵みにありつこうとさえする尾羽うち枯らした浪人が、

仕官のチャンスをつかもうとない知恵を絞る。

人間の悲哀を描いたものです。

 

黒沢脚本では、剣の腕に覚えのある浪人が行きがかりで刃傷沙汰を苦もなく止めた手腕を、

偶然城主に認められ、出くわすこの上ない仕官のチャンス。

しかしこの武士がもつ異常な優しさが千載一遇のチャンスを危うくしてしまう・・・

理解者は妻だけか?・・・。

黒澤明監督が作りたかった映画 『 雨あがる

映画ではこれがまた出来た妻で・・・・きっと黒沢監督も理想として描いたにちがいない程の

サラリーマンにとっても理想像の妻なんです。

 

周五郎原作「日々平安」では、策が全て的中し思惑通りになるのですが、この浪人急に内に湧き上がる恥ずかしさで遁走してしまう・・・が・・追いついた迎えに相好が崩れる・・・という結末、人間的なんです。

 

 

人気作家宮部みゆき氏や山本一力氏達の作品では江戸の下町や町屋がよく描かれます。

共通の魅力の原点が周五郎作品にある気がします。

巷間にあふれる時代を超えた、ちょいとした人情話・・。

いいですね・・この歳でよんでも胸の奥が、そこはかとなく熱っぽく感じます。

 

 ちなみに「雨あがる」の日々平安に描かれた

若侍達のお家騒動をめぐり右往左往する様は

椿三十郎(映画)でほとんどそのまま使われていましす。

これからもっと周五郎作品を読んでみようっと・・・・・。

 

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