235キロの行軍
先日の岡山マラソン人の列を眺めていて想ったことがあります。
何かと非常に疑問の多い、
秀吉の中国大返しといわれる行軍のことです。
記録では2日目、岡山の沼から姫路間70キロを、
2万の軍勢が豪雨の中はしりぬけたのだとか。
岡山マラソンでは15000人を眺めましたが、
42キロ2時間半の間に先頭集団と最後尾は20~30キロ以上の差が出たことになります。
私の先祖が足軽だったことでもあり、
当時のマラソン人である
足軽が武器や防具を放棄して体一つで走ったとしても、
姫路城まで後続が追いつくのに6~8時間も待機したでしょう。
うちの先祖が混じってたら、最後尾に違いないのです。
となると、
高松から山崎まで235キロ間にどんだけの差がついたのでしょう。
多分、後続がつく頃には戦闘は終わっていたのでは?
妙な話じゃありませんか?
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