特攻と特高
今日は12歳の時終戦を迎えたという母方の叔父を送りました。
11年前に父の葬儀で親戚代表挨拶をしてくれた事もあります。
戦中世代は次第に少なくなっています。
海軍だった亡父は
鹿児島の知覧で涙したと母は思い出を語ります。
私も屋久島を訪れた時、知覧まで足をのばしました。
臍も曲がってる私は感動の中にも、
同時に優等生の作文だけをみせられたかのような、
「これは肉声じゃないだろう?」違和感を抱いてしまいました。
厳しい検閲を前提で書かれたわけでしょうから・・
その行間を推しはかる努力をしたいものです。
体当たり攻撃っていうと9;11を想う若い方も多いでしょう。
これって日本人特有の出来事だったんだろうか?
調べてみると・・・当時ドイツ・イギリス・アメリカ・ソ連いずれも
実施したり検討したり・・
しかしヒットラーは懸念を示したという記事も。
日本の様に命運を非効率な作戦に託し、
止める事が出来なかった国は無いようです。
似て非なるものなのか?
同質なるものなのか?
考えなければならない事と思います。
戦後彼らの死が
外国人からも称えられるというような事もあったそうです。
また現在、
その死をことさらに美化しようとすることに熱心な勢力もあるようです。
学生達の死を美化するより、
戦火で散った方々の生が
全うされなかった事を哀悼しましょう。
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