良く言うよ
お国自慢ならぬ本当の自慢・・。
「首相在任6年間に日本のGDPは10.9%伸び、雇用と所得が増加、経済の好循環が根付きつつある」 とダボス会議で法螺を吹いてる最中に偽装アベノミクスがバレちゃったのですから、
普通の神経ではとても国に帰れません。
官僚の原稿通り読めた?だけかもしれませんが・・・
見絹江さん/span>
国際女子オリンピック大会は好成績ではあったが、人見もまたチームとしても前回大会やオリンピックに比して結果が悪かった。帰途、新聞報道や手紙から日本での反応が冷たいことを知った選手達は深く傷ついた。しかも半月の内に5つの大会が集中し、肉体的にも大きな負担となった。人見は帰国当日岡山の実家で休んだものの、翌日東京に発つ。後に扁桃腺炎になるが、正月までほとんど休みなく新聞社での仕事や募金へのお礼を行った。
しかし、人見は1931年3月25日に早朝から喀血し、肋膜炎で阪大病院別館に入院する。人見の病室には「軽井直子」という名札が掛けられた。人見はその後に肺炎を併発し8月2日、乾酪性肺炎により死去した。24歳没。アムステルダムオリンピック800m決勝の日から、ちょうど3年後の日であった。
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