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2019年12月15日 (日)

私の父は戦艦長門の下士官でした

多くの方がそうであったように、

私の亡父もあまり戦時中を語りませんでした

ただ・・

南方で土地の人が売りに来るバナナは絶品だった・・・・と

「お前たちにも一度食べさしてみたい」

当時高級果物とされてたバナナを見向きもしないのです。

ですから、母と弟と3等分は嬉しかったですね

長門は戦闘に巻き込まれるような事も無く、

戦後ビキニ環礁で水爆実験の老朽管艦として試験材料に使われました

戦争体験者の証言も

やがて聴かれなくなるのですね

慰安婦(日本軍性奴隷)を南方に運んだ徴傭船船員の証言 - 読む・考える・書く
日本郵船の大型貨客船三池丸(11,738トン)は、北米航路への就航を予定して建造されたが、結局一度も本来の航路を航海することなく、竣工直後の1941年10月に陸軍に徴傭され、南方への兵員や物資の輸送に使われた。 三池丸(画像出典:Wikipedia) この三池丸に、徴傭直後から約1年半陸軍軍属として乗船していた元船員の男性が、南方の戦地への「慰安婦」の輸送の状況について証言している。この男性(以下、Sさん)は、戦後60年を経て関係者のほとんどが亡くなり、生き残りが自分ひとりとなったことを機に証言を決意されたらしい。他に類を見ない貴重な証言だと言える。[1] 女性たちは、あまり人目につかぬように…

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