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2015年3月 5日 (木)

戦後70年:数字は証言する4

岡山は笠岡方面で小学校の給食が始まったのは6年生の時?
昭和33年でしたか・・。
それまでは、お昼休憩になれば教室から黙って消える生徒がまだ居ました。

米国では家畜用の餌だった脱脂粉乳のミルクも
美味しいと飲んだ記憶があります。
コッペパンも半分残し母に持って帰った記憶があります。

あの頃はアメリカは繁栄の象徴でした。
すっかり様変わりしてしまったアメリカですね。

そうか・
この頃の子供は今の子より25センチ近くも小さかったんだ・・・。

みんな栄養不足だったんです。


旧大蔵省は1938年から、国民貯蓄増加目標を設定。1942年度には、目標額として総額230億円を掲げた。国民1人当たりでは月18円余り。しかし、当時の低所得者層は月100円(5人家族)で生活しており、国民の生活実態をほとんど顧みていなかったことが分かる。「暮らしの中の太平洋戦争」(山中恒著)によると、「一日戦死の日」も設けられた。1日戦死したつもりで、その日の稼ぎを全額貯金することが奨励されたという。

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