誰が決定権を持つのか、誰が責任を負うのか意図的に曖昧にしてきたのが旧陸軍、海軍の上部組織ででした。
大本営の人は悲惨な結果に終わった数多くの作戦に戦中も戦後も責任をとることはありませんでした。
今の東大以上の難関を経て高級士官になった軍官僚の人たちです。
責任を取らされたのは圧倒的にノンキャリアたちです。
この体質は脈々と現代の高級官僚に引き継がれてきました。
しかし戦中、戦後を通じてもっとも非難されるべきは私達一般大衆です。
私たちの父母は戦時中は軍に憚り、反戦主義者・平和主義者・共産主義者に対し非国民と唱和しました。
また戦後はGHQに対し憚り、戦中に持て囃した英雄達を村八分にしたり、その変わり身の素早さは破廉恥なくらいです。
明治維新から日本人はそのように破廉恥的適応を繰り返してきました。
誰にもこのような日本人的・農耕民族的・A型民族的・無主体性等の性癖が観られます。
端的に言えば「あなたはどう考えます?」ときかれ「皆さんはどう思われます?」と聞き返す体質です。
いまの時代実体の見え難い世論・多数の意見等と言い換えています。
私の亡父は「自分は前に出なかったからこそ戦争で死ななかったんだよ、先に立つ人は皆死んじゃった。喧嘩に負けてもあんまり気にするな。」と孫(私の息子)に教えていました。
ちなみに亡父は海軍下士官でした。
しかしここにジレンマがあります、私にも。残された時間が次第に少なくなってきたからでしょうか。
今この精神的閉塞感が大阪選挙で維新の会圧勝をもたらしたのでしょうか?