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2016年9月

2016年9月 8日 (木)

真面目は狙われる?

テニス仲間のW氏の宅が泥棒に入られたんです。

それもその日は涼しいからというので、

掃き出しの戸を網戸だけで寝たンだそうです。

1階だったんですね、だけど男の一人暮らしなんで

気にもしてなかった・・。

毎晩、酒は欠かさない生活習慣。

その日もビール・ワイン・日本酒・ウイスキー・焼酎のいつもの手順通り、

真面目に日課をこなして、おまけに閉めに睡眠導入剤まで・・。

それより鍵を閉めろですが・・。

日本銀行券は不安だというので満杯で50万になる、

500円硬貨貯金ボトルというのが、結構流行ってるそうです。

ほぼ満タン状態だったそうです。

重いだろうな・・。

目覚めたら、

生活費でおいていた現金30万と

5メートルと離れてない所に置いていたそのボトルも消えていた・・・。

100万程の腕時計は手付かずというのですから、

なんでもお持ち去りになるお方ではないようです。

妙に感心してしまいました。

「じゃー80万の被害ですか・・・、それじゃー切りの良いところで後20万皆で飲みましょう」

と慰めました。

がどうもその後、余り口をきいてくれませんナ・・。

2016年9月 7日 (水)

なんか聞こえる?

不可解な出来事は世に溢れています。

無差別に殺人を起こした犯人が

「頭の中で声がした」と言う。

覚醒剤の幻覚だろうとか、

精神的な問題があるのだろうとか

一般的には曖昧な解説がされるが、

世の中に、ターゲットの精神状態をコントロールするような、

テクノロジーさえ存在するとも言われています。

歳とともに、

幻覚・幻聴のお近づきにもなるような

今日この頃です。

車でも最近の安全対策テクノロジーには助けられています。

鍵の閉じ込め、追突防止装置には何度助けられたかしれませんね。

しかしこんな恐ろしい技術もあるようです。

http://ameblo.jp/244tuyo3/entry-12060044324.html

2016年9月 6日 (火)

嫌われる勇気?

「何読んでるん?・・・嫌われる勇気?」
「これ・・人気あるんよ・・」
「なになに・・自己啓発の源流「アドラー」の教え・・」
「別に勇気持たんでも、嫌われとるジャロ?」
「私しゃ皆に好かれとるモン・・」
「そうか・・嫌いな相手が多いだけか?」
「・・・・けっこう-・・居るわ・・」
「じゃ・・相手も嫌っとるナ・・」
「フーん・・今のままでいいかも、読むの止めよか?」
「・・・・・・やっぱり最後まで読んだ方がいいと思うよ」」

2016年9月 4日 (日)

歴史は闇?

65年後の2006年に公開された、米国の秘密文書では、真珠湾の1年前から、
暗号解読されていたそうです。

右寄りの人たちが強調するように、、
日本は完全に嵌められていたというわけです。
それも見事に。
それほどに情報活動に劣っていたし、
真珠湾でも空母不在を疑ってもみなかったわけです。

エージェントの存在がそれを疑わせなかった?
敢えて空母追撃の作戦を退けた、
山本五十六のエージェント説も
信憑性が出てくるのです。

アングロサクソンにかかっては
日本民族なんか赤子のようなものなんですか・・・。
今でもそうなんではと心配になりませんか?

ケネディ暗殺の文書公開が100年後といいますから・・、
2063年・・・生きてないわ・・。

2016年9月 2日 (金)

私的リンチや魔女裁判

16歳の少年が「自分一人でやった」と証言したといいます。
一人で罪を被るという行為と、犠牲的美徳が曖昧になっているようです。
戦後一部の戦犯をみせしめにして、
手打ちをしたGHQの手法を真似てるわけでもないでしょうが・・。


またグループが暴走し始めると、誰も止める事ができません。
これらは少年に限った事でもありません。
私的リンチや魔女裁判のような歴史を経ても、人間の業なのか?
集団に個人は無力です。
内ゲバといわれた悲惨な例は赤軍だけでなく
オウムでも繰り返されたようです。
会社組織でも告発者は排除されるし、
多くの不正を観てみぬふりは、
その延長でしょうか?

軍人が老人・女・子供だけの部落を疑わしいという恐怖心で
無差別に殲滅し、村ごと消し去ったというような、
集団ヒステリー的出来事は
米軍であろうと日本軍であろうと、
戦場では茶飯事と言われます。

少年達の行為は、過去に大人が繰り返えした歴史です。
真に個人を大切にする社会が、今こそ重要ですね。


法治国家ならぬ放置TVと呼んでもいいかも、
視聴率は広告収入に直結するので
まるで庶民の代表のようなスタンスで、
大衆のガス抜きに執心するTV報道はアジ演説する、
現代のリンチみたいですネ。






2016年9月 1日 (木)

リンチされる?

お亡くなりなった永六輔氏の作詞に「女ひとり」
「京都大原三千院・・
恋に破れた女が一人・・云々」というもの・・。
ロマンチックな香り高い作詞ではありますが、
実は大原では女権が強大で、
男連中は女の暴力に怯えながら暮らしていたという説もあるのです。
封建社会では女性の悲話がことさら強調されるようですが、
実は・・という・・
其あたりの事は八切止夫氏になる、
斬新な史観の歴史小説に詳しいのです。
一部をご紹介・・涙無くしては読めません。
大原女が頭上に物を載せて売りに来るのは、
男を信用せず、現銭収入は全部自分のものにして、
銭を得た後は京の街でショッピング。
銭は女が全部使い切る・・。
つまり京の入り口山科別所まで、牛馬然と重荷を背に女を送った男どもは、すぐさま取って返し翌日分収穫の為、山深く分け入り、刈り揃え、女が戻ってくる迄には、火を起こし飯ごしらえをばしてまっていたのである。
上州新田などは、これと反対に男を売り歩かせはしたが、一文でも私使したら、その集落から追放処分と言う厳しい戒律があり、男の稼いできた収入は全て女に召し上げられ、それに文句を言えば、山の神の罰が下ると集団リンチにあった・・・・・。
なんと悲しい話ではありませんか・・。
そのまま私の人生ではありませんか・・・。

想えば小学生時代の女の子は男の子を圧倒してますし、
青春期は勢力均衡かのような幻想・・・。
高齢期等ともなれば観るも無残に
比較にもならない・・。

時代は変われど、本質は変わらず・・
つくづくそう思う今日この頃であります。