怖いですね・・・無知ですね・・・・
60年安保世代からしてみれば岸信介氏は不倶戴天のといいたいところですよね。
孫崎享氏によれば岸信介はCIAの走狗ではなかったと解説されています。
つまり60年安保は対米従属に異議ありを唱えようとした岸氏をダレスCIAが追い落としに利用したというのです。
ショックではありませんか????
全学連はCIA資金で踊らされていたという話ですから・・・・。
怖いですね・・・私たち無知ですね・・・・。
60年安保世代からしてみれば岸信介氏は不倶戴天のといいたいところですよね。
孫崎享氏によれば岸信介はCIAの走狗ではなかったと解説されています。
つまり60年安保は対米従属に異議ありを唱えようとした岸氏をダレスCIAが追い落としに利用したというのです。
ショックではありませんか????
全学連はCIA資金で踊らされていたという話ですから・・・・。
怖いですね・・・私たち無知ですね・・・・。
道路上に生々しい、あるいは干からびた猫の死体を観ることが少なくなった気がします。
かっては、一日に何度もみかけたこともあったのに、何故なんだろうか?
我が家の黒猫オペラも屋根以外には出かけようとしません。
心地よい瓦のぬくもりの上で時折、異界の匂いを嗅ぐかのような仕草を魅せます。
路地を走り抜ける車をなんだか冷やかに客観的に眺めてる感じ・・・・・。
あれには近寄らないんダ、だからうちの車に乗るのも厭なんダ・・・と言ってる感じ・・・・。
まさか猫の交通教室が成果をあげてるわけでもないでしょうが。
交通事情に対応できた猫だけが自然淘汰されたのかしら?
田舎道でも狸の事故死を観ないような気がします。
狸教室も優等生?
2009年の重松清著に「かあちゃん」があります。
お母さんの「お帰り」を聞きたい。
抱きついて泣いたりはしない。
僕はもう中学生で、頬に残った涙の跡を消すことが大事だといのも知っている。
でも聞きたい。何度でも、いくつになっても。
僕は今日、久しぶりに正義の味方になったんだよ、お母さんーーー。
玄関のドアを開ける。「ただいま!」と声を張り上げて、台所に向かう。
お母さんが振り向いた。
妻は小学3年の息子の頬に涙の跡を見逃していませんでした。
だからこそ晴れがましいあの「ただいま!」を聞き逃すこともなかった・・・・。
母性に与えられるご褒美・・・・・・男にはこれはかなり羨ましい・・。
この歳になると、体力に自信を持ったり、また落ち込んだりの繰り返しです。
自転車、前後に籠をしつらえたいわゆるママチャリというやつに時々乗ります。
雲ひとつない空の下、感じる風も爽快。
まだまだ健脚を実感・・・・・・内心俺もマダマダ等と想う・・・・何が?
「あんた、ご近所は走らんようにネ」
「どうして?」
「徘徊自転車老人みたいジャから」
「風景を楽しむ徘徊はないじゃろう」
「そのキョロキョロがイケん」
「なんで?」
「変質者に観える」
「・・・・・・・・・・・・・」
環境庁と言えば細野大臣でしたが今度はえっなにに?
この度環境庁が「エコチル調査」と銘打って大規模な疫学調査を始めたそうです。
その隠された意図を小野先生が分析されています。
瓦礫処理問題以降、同姓の親近感も複雑で細野氏の発言に余計に感情が高ぶります。
瓦礫を拡散したのは放射能被害を全国に平均化しフクシマ界隈の被害を目立たなくする方策だというわけです。
被害補償を抑える目的だけでなく、そこには原発擁護の思惑がありますね。
しかし私も真珠湾・9・11などは誘発された出来事だと学びますし、
政治というのはそんなにも非情なものだと私たちは想い知るようになりました。
何が「エコチル調査」ですか?
本当は「エゴ知る調査」?
30日NHKの番組「日中外交はこうして始まった」に観られるように、
急に日中国交正常化のエピソードを放送し始めた感があります。
米国からの指令でもあったのでしょうね。
あらゆる状況に応じた番組がストックされてるのでしょうか?
田中真紀子氏の登用もそんな感じです。
どうやら水入りとなりそうですね。
国民感情をコントロールするのは簡単、どうにでもと観えますが・・・・。
周恩来氏・田中氏大平氏らの尖閣の棚上げは「小異を残して大同につく」という大局感に基づくものでした。
いま先人に並ぶ政治家は残念ながら見当たりません。
被爆者と呼ぶのは、なんだかか一律に整理してしまう語感があります。
それでも尚、国民の多くが被爆者になりつつある現実があります。
夕べニーユースのおじさん池上彰氏の解説番組も客観性を装った巧みなプロパガンダでした。
ピンチをチャンスとほくそ笑む連中は国境・国土問題を目くらましに利用してます。
地下資源問題も実情には触れませんでした。
石原氏等は意識的にピンチ状態を創出したのでは?と疑うのは私だけではないでしょう。
ぬまゆのブログ(その3)には観る者を切なくさせる日常が綴られています。
このようなことは多くの人々に今起こっている事柄ですし、やがて岡山に住む私たちにも起こりえる事なんです。