2012年 心に触れる話 (東京新聞)
2012年 心に触れる話 (東京新聞)
(東京新聞「こちら特報部」12月28日)
「もっといい話を書けませんか」。
こんなメールが読者から届いた。だからというわけではないが、ちょっと心がじんわりする話を集めてみた。いずれも今年体験した本当の話。読むと、いろいろな人がいろいろな生活を送っていることにあらためて気がつかされる。もうすぐ二〇一二年も終わる。 (上田千秋、中山洋子)
福島県三春町在住の作家で福聚寺住職の玄侑宗久さん(56)の話。
Sさんは東京電力福島第一原発に近い富岡町から昨年避難し、三春町の仮設住宅に住んでいる。いつまで続くか分からない避難生活を送る人々の中には気分が落ち込み、外出さえしない人も少なくない。
Sさんも心細いだろうなと心配していたが、そんな様子はみじんもない。Sさんは元気いっぱいであちこちにドライブに出かけては、お土産を持ってきてくれる。
どうして、そんなに明るく振るまえるのかと尋ねると、Sさんは「こんなに幸せなことはない」と言った。「三春町に税金を払っているわけじゃないのに、町の道路を走らせてもらっているし、下水も使わせてもらっている。雪が降れば、町で除雪もしてもらっている」
だから、「買い物は必ずこの町に昔からあるような店でしている」という。
Sさんは震災も原発事故も悪いことばかりとは思っていないそうだ。「和尚さんの本に書いてあったぞい。確か、馬の話だった」。「人間万事塞翁(さいおう)が馬」。Sさんが最初の一時帰宅で持ち帰ったのはカラオケセット。集会所に置いて毎週水曜日、みんなで歌っている。
○「漢字の奇跡」
岐阜県多治見市の杉浦誠司さん(36)の話。
半年ほど前のある日、知り合いの看護師の女性から連絡が来た。「あなたのファンの子がうちの病院に入院しているから、一度見舞いに来てくれない?」
杉浦さんの仕事は「文字職人」。ひらがなを組み合わせて「夢」や「絆」などの漢字をつくるアーティストだ。この時も「のりこえられる」という七文字の平仮名を使って「壁」と書いたポストカードを持って見舞いに行った。
相手の年齢も病状も知らないまま病室に入った杉浦さんを待っていたのは、言葉を発することも呼び掛けに反応することもなくベッドに横たわる小学校高学年の男の子。脳の病気だった。
見舞いから数日後、男の子は目を開けて人の動きを追うようになり、わずかながら回復の兆しが見えてきたという。もちろん、ポストカードに効き目があったのかどうかは分からない。それでも杉浦さんは「勝手に無理だとか不可能だとか判断してはいけないんだということを思い知らされた。僕自身が学ばせてもらった」と言う。
○「落語の力」
落語家の三遊亭白鳥さん(49)の話。
十二月、新潟県上越市で農協主催の落語会でのことだ。雪まじりの雨が降る悪天候で「誰も来ないのでは」と心配したが、百人くらいの会場は満席。しかし、どうも主催者の動員によるもののようで、客席は落語を聴いたことのない年配の人々がほとんどだった。
落語ファンには創作落語で人気の白鳥さんだが、「地方ではテレビに出ていない落語家はほとんど無名」。白鳥さんは得意の創作落語ではなく、古典落語の「尻餅」を高座に掛けた。マクラで落語の基本なども分かりやすく解説したこともあり、喜ばれたという。
この落語会が忘れられなくなったのは、後日、届いたメールのためだ。来場した高齢女性の娘さんからで、初めて聴いた落語に大笑いした女性は、離れて暮らす娘にその喜びを電話してきた。
一人暮らしの母の久しぶりに楽しそうな声がうれしくて、娘は白鳥さんに感謝を伝えるメールを送った。
「日ごろは本当に喜んでもらっているか迷うことばかり。あまり気乗りしないはずなのに、ひどい寒さの中、足を運んでくれたおばあちゃんが喜んでくれたことに、ぐっときた。娘に電話するきっかけになったのもうれしい」と、白鳥さん。
○「井上さんの教え」 教育評論家の尾木直樹さん(65)の話。
九月、岩手県釜石市の釜石小学校を訪問した。「いきいき生きる」と始まる校歌の作詞は劇作家の故井上ひさしさん。歌が象徴する「生きる力」が、きちんと育まれていたという。
東日本大震災で津波に襲われながら、独自の実践的な防災教育で在校児童に犠牲者はなかった。「大丈夫だ」と避難をしぶる祖父母らを必死に説き伏せて逃げた子供もいる。
尾木さんは六年生に震災の話をした。一人の女の子が涙ぐんでいた。津波で母親を亡くしたという。
まずいことを言ったかなと思いつつ、「亡くなった人の分まで一生懸命に生きることが大切だ」と話した。真剣な表情で聞いていた女の子はその話にうなずき、ニコっと笑った。
「この学校には一人一人が大事な存在だという教えが前々からあったのだと思う。子供たちは自然にお互いを思いやり、心を通わせてきた。だからこそ、いざという時、自分の命も、ほかの人の命も大切にできた」と尾木さんは言う。
○「ラジオ」
お笑い芸人の水道橋博士さん(50)の話。
体調を崩した放送作家の高田文夫さんがラジオ番組に復帰。十二月十四日の放送に師匠のビートたけしさんがゲスト出演した。かつて、自分が心を震わせ、ビートたけしさんの門を叩(たた)くきっかけとなった「オールナイトニッポン」の「再現」。どうしても今、その放送を見学したくて、スタジオへ。「僕にとって夜空の星座。星を見上げるような気持ちで見学した」
○「終始無言」
特報部、中山洋子記者(43)の話。
春ぐらいか。京急蒲田駅のホームから酔った男性が転落した。ホームにいた四、五人の男性たちは線路に飛び降り、あっという間に男性を救出した。終始無言のまま一切が進んだ。
救出にあたったメンバーには中年会社員もいれば、不良っぽい若者もいた。いろんな世代の人が無言でとっさに体を動かしたことに「胸が熱くなった」。
<デスクメモ> 三月の深夜、母親が危篤だと連絡を受けて、病院へ。とりあえず、この日は大丈夫と聞き、早朝、タクシーで帰ることにした。時間帯やこちらの様子で事情を察したのだろう。タクシーの運転手が三百円まけてくれた。母親のこと、運転手の親切、三百円という妙にリアルな金額。あの時は本当に参った。(栗)