世界ソフトテニス選手権観たいです
篠原・小林も杉本・森原も活躍してるみたいですね。
団体戦対韓国との決勝はどうなったんだろうな。
私、木・金・土と遊んで披露困憊です。
ゲームで先輩が肉離れをやりました。
ウオーミングアップとクールダウン、大切ですよ。
みんなやらないからな・・・・。
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篠原・小林も杉本・森原も活躍してるみたいですね。
団体戦対韓国との決勝はどうなったんだろうな。
私、木・金・土と遊んで披露困憊です。
ゲームで先輩が肉離れをやりました。
ウオーミングアップとクールダウン、大切ですよ。
みんなやらないからな・・・・。
22日に天皇・皇后杯の放送がありました。毎年決勝だけですが。
去年の決勝は 杉本・森原 対 佐々木・大庭 内容は杉本さんが大庭さんを意識しすぎた感がありました。二人は良いライバルに観えます。
今年は 杉本・森原 5対3 安川・石井(早稲田) 森原さんがゲームをコントロールしてたように観えました。
篠原・小林 5対2 松口・山口
男子決勝を観たロートルテニス仲間は ありゃ空中戦 と評していました。
男子は、ノーガードの殴り合いですね。
岡山理大付属時代の小林選手を大器と観た自分の眼力はまんざらでもと、なんだか嬉しく思えるのです。
いいものをたくさん魅せてくださーい。
もう少し、わずかでも違ってたら死んでたかもという経験は誰にもあるようですね。
私は大学生の時、45年も前の事ですが、夜道を友人の家に向かって歩いていいました。深夜です両脇が田んぼの道でした。道路の右側をあるいていた私の右手のスポーツバックがいきなり跳ね飛ばされました。
「エッ、何々何が起こった???」
良く観ると右手の10メートル先、田の中に逆さまになった軽トラが・・・・。
「だ、大丈夫ですか」
怒る前に人の心配ですから、私はお人よし。
田んぼに入って様子を観ようかと思案してましたら、ゴソゴソと泥まみれの人が。
「ごめんなさい、怪我はありませんか?」
50歳ぐらいのオジサン酒臭い息で、心配そうに聞いてくる。
「大丈夫、なんでもありません、バッグも破れてませんから・・・」
やっぱし、お人よし。
あの人、今想えば、自分の事が心配だったんですね。
2年前、孫が2歳6ケ月の時、横断歩道の向こうに姉をみて突然飛び出し。
急ブレーキと悲鳴・・・・。
やがて現場検証、お巡りさん、「これは良く解るわ・・・」
ワンボックスカーの中ほど左横腹に人型がくっきり・・・・・。
幸い、右足の単純骨折ですみました、しかも入院もせずギブスのみで完治。
運ですな・・・・・。
百田尚樹著 永遠のゼロ
空襲と空戦が終わると、三機は阿吽の呼吸で敵飛行場の上空で編隊を組み、そこで宙返りを演じてみせたのです。それも三度続けて。それはみごとな宙返りでした。三機がまるで一つの飛行機のように一糸乱れぬ動きでした。何も知らされていない私たちはあっけにとられて見ていました。三機は更に大胆に高度を下げるともう一度宙返りを行いました。三人の名人が行うと、これほどまでに美しい編隊宙返りが出来るのかと想いました。
驚くのは、この間、敵飛行場からは一発の対空砲火もなったことです。
”日本軍であれば指揮官は「撃て、撃ち落とせ」と絶叫したはずです。
ここに彼ら敵国のユーモアと度量の大きさを感じます”
対戦当初、戦闘能力の傑出したゼロ戦にのる優秀なパイロット達はゼロファイターと呼ばれ敵に恐れられていたそうです。
しかしながらやがて、人間より兵器が大事という思想は、次第にベテランパイロットを失うこととなり、また新人パイロットを育成できない事態を産むことになりました。ゼロ戦は防御機能を犠牲にして戦闘能力を強化していることが敵に解明されるや、ゼロ戦も過去のもの、ただの標的となってゆきます。
東京は106回の空襲を受けたそうですが、1945年3月10日の大空襲が最大規模であったそうです。
物資、燃料不足の為、戦艦長門はこの時横浜港に繋留されたままだったとか。
父が海軍だった為か?当時母が一緒だったかどうかも不明ですが、3月17日に私の出生届けは横須賀で出されました。
NHKのアサイチでセックスレスを・・・・。朝から固まった向きも多かったとか。
70も近い我々が、私の事か?とウロタエタ?
どうやらもう少し若い世代の問題のようでしたが、冷や汗ものでしたな。
若かりし頃、3歳の息子が「僕もイク」と突然起き上った時は焦りました、いいところだったのに・・・・・・。
お若い方達に、セックスレスが蔓延とはいかにも MOTTAINAI・・・・。
子宮癌だったとか、マータイさんのご冥福を祈ります。
戦艦長門は1942年初めまで連合艦隊の旗艦で山本五十六が艦長であったとか。42年2月から山本五十六は旗艦を大和に移した。
多くの軍艦が戦闘で寿命を果たしたなかで、長門は戦闘で大破することもなく
、44年11月以降燃料不足の為横須賀港に繋留された、そして終戦を迎えたそうです。
最後は米軍に接収され46年ビキニ環礁での原爆実験に供された。
長門の生涯はなんだか、日本を象徴してるように感じます。
「長門」が二度被爆してなお4日後まで沈まなかったことは、当時の日本では「米艦が次々沈む中、最後まで持ちこたえた」「長門が名艦だった証拠」「日本の造艦技術の優秀性の証明」と喧伝された。もっとも、被爆を耐えた艦は「長門」以外にもおり、「長門」と同条件下か、より爆心に近接していながらも沈没を免れた米戦艦「ネバダ」、米軽空母「インディペンデンス」、ドイツ重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」(後日座礁放棄)等も存在する。
現在、「長門」沈没地点はダイビングスポットとしてこの地の貴重な観光資源となっている。沈没状態とはいえ、ビッグ7の中で現存しているのは「長門」だけである。現状は上下逆さまで沈没しており、艦橋部分は折れている。
どの時期の長門に配属されていたのか、父から聞いていない。
馬鹿だね・・・・・・。
14・15・16日と、13歳以下の男女それぞれ32選手の全国選抜試合が岡山でありました。
土曜日はQ、FAINALまでいずれも素晴らしい選手達でした。
日曜日は男子決勝の一部を観戦できました。
ソフトテニスと違い静寂の中でゲームは進みます。
鳴り物は無いにせよ、声援が賑やかなソフトテニスに慣れた私には
違和感が少々・・・。
明らかな身勝手なジャッジも見かけましたが、混乱もなく進行するのですね。
プロでもミスジャッジを度々侵すのに、
選手のセルフジャッジで淡々と進行してゆくのにも奇異に感じました。
ともかく専属コーチもついての全国レベルは、アンフォースドエラーの少ない驚くべき高さでした。
男子は広島の徳田選手・女子は東京の小堀選手でした。
金融商品の多くは「ばくち」だ。個人がいくらばくちで負けようが、その個
人の責任だ。だが、ばくちで損を出すのが大銀行である場合は、公金で救済せ
ざるを得ない。さもないと、ドルや米国債の崩壊につながり、全世界の一般市
民の全員が巻き添えになる。米国のノーベル賞経済学者のジョセフ・スティグリッツ氏は今春発表した論文で「米国人の1%が国全体の所得の20%を受け取り、富の40%を保有している」と指摘し、米国の現状を「1%の1%による1%のための政治」と表現した。
これらが経済政策の根底であることは、衆知のことです。
そこでウオール街デモを支持する人々は増え続け、デモも世界規模の広がりをみせています。東京では100人程度の規模ですが、情熱的なローマでは暴動化も。
でお決まりの弾圧が始まっています。
99%に属する人々が1%の為に治安という大義でもって99%の人々を弾圧します。不思議なことに、それも極めて熱心にです。
自由の国においても、自由に意見行動を起こすことに対し、反感を覚える自由もあるようですな。
えっ、仕事だから?・・・随分仕事熱心でいらっしやること。
違う?ただ失業したくないから・・・・・・そうですね。